被害者A
作品3 中川vs某刑事
「おまえは分が悪い」 男は逞しい胸板を反らすように、腕組みをしながら言った。 中川は、いつもこの男になにもかも見透かされている気がしてしょうがない。 だから会いたくないのに。部署違いだからそうは顔を合わせることはないが、所長に言いつけられた用事のせいで、来たくもないフロアに来ている。 しゃくだから、笑顔をかえす。得意のいつもの、営業スマイル。 「なんのことか、わからないですねえ」 にっこり、と。 突っ込んでくるなよこれ以上。僕が大人しくしているうちに引き下がれ。 ふところに隠した牙までをも知ったうえなのか、男はさらに畳みかける。 「分が悪いんだよ。俺とおまえの違いはそこ」 「なんですかね、それ」 怒らせるな。これ以上僕の神経をささくれ立たせないでくれ。そうでないとあんたを殺してしまう。本当にかんたんに、僕はあんたを消してしまえるんだから。 「俺はアイツと同じスタンスで生きられる。オマエは、無理」 ――――――――――このやろう。 幼少の頃から打たれた鉄の躾のせいで、腹の中でなにを思おうがポーカーフェイスは身に付いている。綺麗な立ち方、優雅なしぐさ、余裕の微笑。それが帝王学のひとつだと、焼き印のように押されている。 けれど中川の心の薄皮をゆっくりと剥ぐように、男はさらに挑発をしかける。 「あいつはオマエに熱くならない。俺はあいつを熱くすることができるんだぜ? なあ、見たことがあるか? アイツがむきになって掴みかかってくるところを」 ――――――――――殺してやる。 決めた。コイツ、許すわけにはいかない。誰にもやらせない。僕が手に掛ける。 だから今、子供じみた誘いにのるものか。僕の悔しい顔を見たいだなんていう下卑た愉しみを与えてなどやるものか。 中川は、深呼吸ひとつせず心を立て直す。いつもそうやって瞬時に仮面を被り直してきたのだから。 「あはは、確かに先輩はあなたに振り回されてますよね? 手加減お願いしますよぉ」 じゃ、と軽く会釈をして背を向けた。 ―――――――――それがせいいっぱいだった。振り向いて顔を見せる余裕は、もう、ぜったいに、ない。 背中で男が嗤っているようだった。 僕の心をいくら見ようと構わない。けれど。 あのひとが自分のものだなんて、そんな尊大を僕が許すと思っているのか。おまえごときに手折られる人だと―――――――― 「分が悪い」のは百も承知。どうせ僕は人のいい、後輩。 それでも毎日、あの人の声を聞いて背中を見て、ときにはいたずらの後始末を押しつけられて。 人のいい後輩、も決して悪い立ち位置じゃないよ? 獣の欲望がはらわたの底で煮え溢れていても、僕はそれを大事にそだてて。そして。 いつか、いつかね? 気づかないうちに、中川の唇にうすらと笑みがうかんでいる。 ふと気づくと、所長に頼まれていた書類を掴んだ手のひらが、じとりと濡れていた。 |
以上、顔で嗤って心は犯罪者の中川。