― 朝顔 ―
ASA GAO
【初稿】





 店のドアが鈴の音をチリンと鳴らした。入ってきたのは中肉中背、というにはいささか苦しい小太りなひとりの男。
 よれたスーツとワイシャツを身につけている。ネクタイはしているものの、ぶら下がっていると言った方が早い状態だ。締めているだけマシといった具合か。
 迷いなく店の奥に向かって歩いていく。体格のわりには足の運びがスムーズだった。
 ゆったりしているように見えて実はそれなりに早い。
 店の入り口に背を向けて、一番奥のテーブルに座って新聞を広げていた男は、店のドアが勢いよく開かれた時から何やら嫌な予感を覚えていたが、足音が背後まで近づいてくるに至っては―――ひとり静かな時間はもうあきらめるしかなさそうだと腹の中で息をついた。だが悠然としたまま手にした新聞を読み続ける。
 今は遅めの朝飯の途中だった。目の前には食べかけの丼が置かれている。
 人目につかないよう、いつも店の一番奥の席を選んでいるというのに、勝手知ったる何やらで、どすどすと歩いてきた男は断りもなく向かいに座った。
 開口一番、
「おい、メシ粒ついてるぞ」
 宮本と向かい合わせに座った佐江が、煙草を取りだそうとしながらふと気付き、まじまじと見つめて苦笑しながら宮本の口元へと手を伸ばす。
「男前が台無しだぜ」
「……ほっとけよ」
 ニヤニヤと笑う佐江の相手をする事はせず、その視線はいつものように紙面の上を追っている。
「そうかい」
 そんな宮本の反応にも慣れている佐江もまた、意に介した様子は見受けられない。
 相手の口元から摘み上げた米粒を自分の口にひょいと運んだ。
「……ふん?旨いな」
 口の中に広がったわずかな味に、ちょっと寄越せと宮本の手元から勝手に丼と箸を取り上げる。
「佐江さん、あんたな……」
 思わずといった風の宮本が、あきらめたように新聞を下ろして脇へ置いた。
 テーブルの上に頬杖をついてため息をつく。
「―――おい、箸」
「ん?何だ」
 ぎょろりと目玉だけを動かして宮本を見た佐江は、すでに忙しく口を動かしている。
「逆さ箸で喰えよ。それが人様に対するせめてもの礼儀ってもんだろうが」
 頬杖をついたまの宮本が目線で示す。
 佐江が握っている箸は、宮本が飯を食っていた時と同じ向きのままだった。
「仁義の間違いじゃねぇのか、てめえらには」
 これまた宮本には見慣れている、せせら笑いを浮かべつつ、佐江は丼を掻き込んだ。
「ま、細けぇ事は気にすんな」
 飯を頬張りながら言う。米粒が飛んできそうで、宮本がいささか嫌そうな色を顔に浮かべた。
「佐江さんよ、それは俺のメシなんだが」
「ケチくせぇ事言ってんじゃねぇよ。まさかメシ代半分よこせなんて言わねぇよな」
「ま、安月給なデカには言えねえな」
 当たり前のような顔をしている佐江に、呆れたような口調で返したものの、宮本に動じる様子はない。
「ほら、返してやるぜ」
「いらねえよ。食いたきゃ食いな」
 唇をへの字に結んで、軽く肩をすくめてみせた。
 強面な見てくれの癖にそんな仕草も様になる男に、かすかな嫉妬を感じた佐江が、ふんと鼻を鳴らして片眉を上げる。
「それじゃご馳走さん」
 いつの間にかきれいに丼を片付けていた佐江が、ドンッと音を立ててテーブルに器を置いた。丼に突っ込まれている割箸がカランと軽い音を鳴らす。
「おいおい、早えな」
「デカってのは時間がねぇんでな。習いグセでつい早食いしちまう」
 躰に染み付いてるのさ、と声を残して背を向けた佐江が片手を上げた。挨拶のつもりらしい。
「あんまり騒ぎ起こすんじゃねぇぞ」
 親指で上を指しながらそう言った。このビルの上階には宮本が仕切っている新宿支部の事務局が入っている。
 それじゃな、と佐江は背を丸め、肩をそびやかしながら店を出ていった。
 朝っぱらから――と言っても、もうそれなりにいい時間だが――すさんだ見てくれの、とうてい堅気には見えない男二人のやり取りが交わされている間に、いつの間にか周囲の客はいなくなっていた。早々に食事を終えて店を立ち去ったものらしい。途中、新しく入ってきた客も敢えて彼らの隣席を選ぶ物好きはいなかったようだ。
「―――やれやれ」
 人様の目につかないよう静かに飯を食っていたつもりが、時折のいつもと同じく唐突に姿を見せた佐江のお陰で、そんな気遣いも全くの徒労に終わってしまったらしい。
「おい、勘定だ」
 立ち上がった宮本は店の窓から外を眺めた。明るすぎる陽射しに目を細める。
 窓越しに見えている色とりどりの朝顔が、そろそろ花をすぼませ始めている。
 今日もまたジリジリと暑い日になりそうだと思いながら、スーツの内ポケットから財布を引っ張りだして、店の出口へと足を踏み出した。



                                            ― 了 ―



佐江宮。ラブリーオッサンズ
コミックスもこんな感じです。ぐふv
でもね、ホントは原作小説のがラブいんですこの2人(タレ込み)。


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