― 竜胆 ―
RIN DOU
【承の譚】





 温泉旅館に来たからにはと、宿に着いて皆すぐに大浴場へと向かったが、晩飯後にまたもうひとっ風呂浴びていた。湯から上がった今は、新宿支部事務局御一行様に割り当てられた大部屋で、キンキンに冷えたビールをてんでに呑みつつ、思い思いの姿勢でくつろいでいた、筈なのだが。
 最前から皆、何やら様子がおかしかった。
「お前、何でそんな前屈みなんだよ」
「お前こそ、その腕組みは何だっつーの」
 片膝を立てて残る足に頬杖を付いている者、両膝の上で腕組みをしている者。みな様々だが一様に体の中心を隠そうとしている様子が見て取れる。
 そして時折、部屋の一画を見つめては慌てて眼を逸らす、という繰り返しで、そわそわと落ち着かない風情なのだ。居心地悪そうにモゾモゾしている輩もいる。挙動不審な事この上ない有様だ。
 そこにドカドカと足音がして近松が部屋の入り口に姿を現した。
「あ、近松さん。お疲れ様ッす!」
「ッす!」
「おう、飲ってるか」
 若衆たちには軽く手を挙げて応える事で済ませ、部屋の中に足を踏み入れた近松は探すような視線でぐるりと見回す。
 やや離れた場所にひとり、見慣れた姿を見つけて足を向けた。その姿に何やら違和感を覚えたものの、しかし理由がよく分からずに、頭を捻りつつも声をかけた。
「宮本。そろそろ始めるぞ」
「―――ああ」
 壁の時計にチラと目をやった宮本が生返事を返す。
 それには構わず近松がさっさと話を進めようとする。
 若衆たちを見回した。
「おい、てめえら。誰でもいいから二人ほど付いて来い」
「は?」
「メンツが足りねえんだよ」
 そう言われた若衆たちが顔を見合わせる。
 特に用事もない筈の現在。
 宮本を連れに来た近松。
 足りないメンツが二人。
 どうやら寝るまでの間、ヒマ潰しがてらに麻雀でもする予定になっていたらしい。
「瀬尾、お前どうだ」
 新宿事務局で宮本の代行を担っている男に声をかけた。
 水を向けられた瀬尾は、内心舌打ちをしながらも、表面上はにこやかな笑みを浮かべてみせる。
「いや。ジブン下手なんで、いいカモになっちまいます。分かんねえ役もありますし」
 勘弁して下さい、と苦笑を浮かべてみせた。ついでに両手を広げて肩を軽く竦めてやりたいところだが、他の面々と同じく、よんどころない理由により今は微妙に両手がふさがっている。
―――ウソつけよ!
―――お前ガッツリ打てるじゃねえかッ!
 カモるどころか、むしろカモられた事すらある仲間たちからの、無言の突っこみと白い視線を、瀬尾があっさりとスルーする。
「折角のご指名なのにホントすみません」
 浮かべていた苦笑を、申し訳なさそうな表情に変えてみせた瀬尾は、何事をも悟らせずに近松からの誘いをソツなくかわした。
「ち、それじゃ仕方ねえな……」
 考えるような眼をした近松は、片袖から腕を抜き、浴衣の合わせから顎を撫でさする。
 その眼が一人の男の上でふと止まった。
「おい。確かお前のマエ、雀ゴロで食ってたよな。今日のは遊びで旨味は少ねえが、どうだ?」
「え、や……」
 いきなり声をかけられた男が飛び上がりそうになる。実際、心臓が口から飛び出しそうな心境だった。
 面子に加わる分には構わないのだが、今はまずい。個人的な理由―――というより今ここから動くのは状況的に大変まずいのだ。
「ええと……」
 瀬尾のような如才さがある筈もなく、冷や汗をかきつつも男は苦しい笑いを何とか浮かべる。
 その間、若衆たちはこっそりと互いに互いの顔を見合わせていた。そして揃いも揃って、近松と目が合わないよう、あさっての方向へと視線を泳がせる。が、時折、吸い寄せられるようにして部屋の一画をチラチラ見ている。
―――?……何だ?
 その場の空気が何やらおかしい事にふと気付いた近松が、彼らの目線の先を追う。
 そこにはゆったりとした姿勢でくつろいでいる宮本の姿があった。座布団の上で胡坐を組み、卓上に頬杖を付いて、眺めるともなくテレビのニュース番組に眼を向けている。
 湯上がりのせいか、それとも夜気が暑いのか、襟元の合わせを大きく開き、浴衣の裾や端からは、組んだ脚の脛やら腿やらが覗いている。
 男所帯であるし、体裁を気にしていないのだろうといえばそれまでの話なのだが、誰の眼にも気怠げに写る姿だった。
 名目上はこの慰安旅行の責任者だとはいえ、幹事は瀬尾が買って出て手際よく取り仕切っており、ここは本拠地の新宿を遠く離れた温泉宿で、山海の珍味をふんだんに使った晩飯をたらふく喰った後の、湯上がりとあっては―――普段は一分の隙も見せないのが常だったが―――さしもの宮本もくつろいでいるのだろうか、いつにない雰囲気を漂わせていた。
 男の色香が匂い立ち、あまつさえ零れ落ちている。気怠げ―――いや見ようによってはしどけなく艶めいているとも取れる姿であった。
―――てめ、……この大馬鹿野郎がッ!!
 遅まきながら、若衆たちの様子がおかしい原因に大体のアタリが付いて、近松が歯軋りをしそうになったが、何とか堪えて腹の中で思いっきり悪態をつく。
「……」
 怒りのあまり小鼻がヒクつき、むすっとした顔で黙り込んだ。
「……おい、宮本」
「何ですか」
 呼ばれた男が、頬杖をついたまま首だけ回して振り向いた。近松を見返すように顔を上げ、ゆるりと視線を流した宮本に、若衆どもが一斉に反応する。
「……うぉ!」
「ちょっ、それ……」
「反則…ッ」
「マジで……ヤバ…ッ」
 潜めつつも何やらボソボソと聞き捨てならない声がする。
 宮本に何かを言いかけた近松だったが、声をかけたものの―――。
「……くそ」
 言葉の穂先を失って、思わず唸るような声を洩らしていた。
「―――見るな」
 周囲に向かって放たれたのは、地を這うように低くてドスの効いた声だった。
「は?」
「ええと……近松さん?」
「いま何か……言いました?」
 明らかに前屈みの角度が深くなっている若衆たちから間の抜けた声があがる。
「見るなと言っている!」
 据わった眼で近松が繰り返す。
「え?」
「……あ?」
「はぁ……」
―――どいつもこいつも腑抜けやがって……これは何だッ!
 理解しているのかしていないのか、煮え切らない態度の面々に、近松の怒気がいっそう煽られる。
「見るなッ。減る!」
 斬りつけるようにきっぱりと言い切った。
「……は?」
「減……?、って」
「え、と……近松さん?」
「……あの、大丈夫ですかい?」
「何か変なモノでも食ったんじゃあ……」
「馬鹿、俺らみんな同じモン食っただろーが」
「あ、そっか」
 揃いも揃って阿呆面を下げた連中が好き勝手にさえずり合う。
「お前もだ。しゃんとしろッ」
 苛立ちもあらわな近松が足音も荒く宮本に歩み寄り、その襟元に手をかけた。
「何するんですか、近松さん」
 テレビを眺めていた宮本は、視界をさえぎられて眉根をしかめたが、抗う様子は特にない。
「いいから黙ってろ!」
 舌打ちしながら宮本の傍らに膝を付くと、帯をゆるめに解き手早く着付けを直そうとした所でハッとする。浴衣の布地が、かろうじて留められていたよすがを失って、はらりと前が開き、あからさまに肌が見えている。
 そして前後左右から刺さる視線がやけに痛い。いや刺さるのではなく凝視しているような―――ねばつくように絡みつく熱い視線。
 誰かの喉がごくりと鳴り、生唾を飲み込むような音がいくつか聞こえた。
 ギリッ―――。
 近松の奥歯が鳴り手が止まった。
 その手がぐっと拳を握る。
 押し殺した息を吐き、ぎごちなく拳を開くと、宮本の胸元に手を伸ばし、襟の合わせを深く重ね、余った布をぎゅうぎゅうと無理やり帯の下に押し込んだ。そして帯だけは丁寧かつきっちりと結び直す。
―――そうか。……分かったぞ。
 何が分かったかと言うと、先程感じた違和感の原因がである。
 見慣れた姿―――その見慣れた、というのがそもそもの問題だったのだ。今更ながらその事に気付いて臍を噛んでいた。
「宮本てめえ。何で此処でそんなもん着てやがる?」
「そんなもんって。近松さんがくれたんでしょうが」
 宮本が着ているのは旅館に備え付けの浴衣ではなかった。
 それは近松が宮本に買い与えたものだったのだ。
 若衆たちが着ている揃いの浴衣と違う事に今の今まで気が付かなかったというのは、近松にしては珍しい迂闊さだったが、それもまあ仕方のない事ではあった。
 宮本が身に纏っているのは、近松の家で住み込みをしながら良く着ているものの一枚で、それ故、見慣れているせいだった。
 反物の質も仕立ても、張り艶も良い品だった。
 お陰でもともと姿が良く、和装が映える宮本の見栄が、更に良くなってしまっている。おまけに艶やかさを強調する一因となっているとくれば、歯噛みの一つもしたくなろうと言うものだ。
―――クソッ。やる事なす事ぜんぶ裏目に出やがって。
「だからって此処にまで持って来るこたぁねえだろ!」
「ああ?」
 宮本が眉根を寄せる。近松がなぜ怒気を撒き散らしているのか全く解していない顔つきだった。
「旅館の浴衣ってのは、薄っぺらくて落ち着かないんですよ」
「そう言う意味で言ってんじゃねえッ。つうか、それならいっそジャージでも持ってきやがれってんだ」
「持ってませんし」
「言やぁ俺のを貸してやったってんだよ!」
「近松さん、そんな因縁つけられてもですね……」
 宮本が迷惑そうに顔をしかめた。
 仕事でここに来ている訳でもなし、立場的には近松の方が上とは言え新宿事務所の所属ではなし、無理矢理こじつけたような理由で便乗してきたという経緯もあり、現在に限って言えば屁とも思っていないらしい宮本が、どこ吹く風で耳の穴をかっぽじる。
 代わりに周囲がザワリとどよめいた。
「近松の兄貴が宮本さんに?」
「わざわざ?」
「宮本さんて、今よ……」
「ああ、住み込みの舎弟扱い……だよな?」
 周囲から聞こえてきたヒソヒソ声にピクリと近松が反応する。
「うるせえな。俺が着るつもりで買ったもんだが、コイツがくたびれた寝巻着なんざ着てやがって……ウチの住み込みがそんなんじゃあ、みっともねえからくれてやったんだ!」
「あーなるほど」
「はぁ。そうなんですかい」
「そうだ!」
 若衆たちの間で、何とはなしにホッとするような安堵の気配が広がった。
 開き直って畳の上にどっかと腰を据え、腕組みをした近松が唇をへの字に曲げる。
―――この場で他にどう言えと。
 買ってやったどころか何枚かは誂えまでしたとは、まさか言える筈もない。
 むっつりとした顔のままの近松が唐突にすっくと立ち上がり、仁王立ちとなった。
「宮本、行くぞ」
「メンツが足りねえでしょう」
 我関せずの宮本が、飄々とした声をあげる。
 先程の近松の手によるものは、着付け直しも何もあったものではなかったが、半ばはだけていた宮本の胸元はしっかりと隠されていた。
 その場で何が起きているのか気付いていないのか、気にもしていないのか。恐らく後者なのが近松には何とも腹立たしい。
「そんなもん構うか。約束は約束だ、俺の部屋へ来い!」
 言うが早いか宮本の腕をぐっと掴んだ。
「……分かりましたよ」
 ふぅ、と息を吐いた宮本が腰をあげて立ち上がる。言われた通りにしないと問答無用で引きずっていかれそうな勢いだったのだ。
「近松さんの相手は俺がするから、お前らはのんびりしてろ。何ならオンナ呼んでもいいぞ」
 宮本は引きずられるようにして近松と共に姿を消した。
「……いや、のんびりしてろって言われても」
「のんびりはしてるけどな」
「気楽にそうしてられりゃー良かったんだけどよ」
「そうもいかなかったしな」
 はは、と乾いた笑いが重なって虚ろに響いた。皆一様にげっそりとした顔をしている。
「けど、あれはなァ」
「眼福って言やぁそうなんだけどよ」
「違うだろ。ありゃあ目の毒つーんだ」
「だな」
 その場の面々が、しみじみとした顔で頷く。
「罪なお人だよなぁ」
「男だって油断してたら、えれえ目に会うってこった」
「普段スーツ姿っか見てねえから……」
「オンナ呼んでいいつってもな、アレ以上の……」
「そんな上玉いねえだろ」
「アレとか上玉とか言うな!」
「い、いや宮本さんの事じゃ」
「当たり前だッ」
「でもよ」
「何だ」
「お前は思わねえのか」
「そりゃあまぁ……」
「ほらみろ」
「近松さんが来た時にゃあ、どうしようかと」
「……だよな」
 はあ、とため息がいくつも重なった。
「―――お邪魔致します」
 そこへ年配の仲居が顔を出した。揃いの作務衣を着た若い男たちを連れている。
「お布団を敷かせて頂きに参りました」
 そう言ってにこやかな笑みと共に、手際よく配下の男達に指示を下す。
 みな手慣れたもので、数分もかからずあっという間に布団が敷かれ、旅館の者達は部屋を下がっていった。
「んー、寝るにはちっとばかり早いよなあ」
「いや、俺はもう寝る!寝る事にする!」
「お前、なに力いっぱい宣言してんだよ?」
「ん?そういや卓球は?」
「あー、そういやそんな健康的な事もしてみるかって話だったっけな」
「……いい。俺イチ抜け」
「二抜け……」
「おい、てめえら。やる気ねえな!」
「じゃあ、お前やってこいよ」
「……いや、やっぱ俺もいい」
 ふぅと息を吐きながら、男が後ろ頭をがしがしと掻く。
「何か気ぃ抜けちまったな。もう寝るか……」
「……そうだな」
 他にやる事もない若衆たちは頷いて、手近な布団へ思い思いに潜りり込んだ。



                                              ―続―



近宮+若衆。イニDで言うと、えんぺらーずのノリですね。
おかげで書きやすい事この上ない。さくさくさく。
起承転結の「承」の部分だけ書いてUP。


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