ある晴れた日の朝にオムレツを


    










 天鵞絨のカーテンの隙間から朝陽が射しこむ部屋の中で、レコード盤が回り華麗な音楽を流し始める。

 チカ―――チカ―――チカ。

 しばらくの後、入口付近の壁に取り付けられている通信機の受信ランプが緑の光を点滅させた。
 ややあってそこから年配の男の音声が流れ始める。
『ミスター・アルベルト。そろそろお目覚めだろうか』
 それを耳にした部屋の主がぴくりと瞼を動かし、速やかな覚醒へと意識を向かわせた。
 数度の瞬きののち、ベッドに身を横たえたままではありつつもアルベルトが紅い双眸を光らせる。
『この連絡は、本日午後―――――』


 ピ―――ピ―――ピ―――。

 音声に重なるようにしてアラーム音が鳴り響いた。
「な、何だ何だッ!!」
 途端、すぐ近くから仰天したような声があがる。
 見ればアルベルトの隣で正体無く眠りこけていた男が、一挙動でベッドの上に跳ね起きるところだった。
 一体どういう条件反射なのか、目覚めるや否やそのまま次の動きへと移り、ゆうべのうちにクリーニングされていた自分の衣服をひっつかみ、素早く身支度を整え始めたのは見上げた根性である。
 それはいいとして、未だ聞こえている電子音はどこからの―――と周囲を見回したアルベルトは、床の上でその意外な形をした音源を見つけたが、ついでふと片目を眇めた。
 ゆうべ男が肩にかついでいた瓢箪の栓が電子音とともに赤い明滅をくり返しているのだが、どこかでそれと似たような光景を目にしたような覚えがあるのだ。
 瓢箪ではなかった、と思うのだがどこで見たものか。
『よって出頭を願うものである。時、ヒトヨンマルマル。場所―――――』
 連絡事項を伝え続ける音声を耳に拾いながら、アルベルトは一方で記憶の中を検索する。
『―――我らのビッグファイアのために!』
「なん…ッ!?」
 人様の通信機から流れ出す音声には行儀良く聞かぬ振りをしながら身支度を整えていた男が、最後のくだりを耳にしたとたん、動きを止めてかっと目を見開いた。
 同時にアルベルトも大きく目を開いていた。
 くだんの物をどこで見たのか思い出したのだ。
 それは以前、敵方の工作員を捕えた折に、胸のタイピンが突然明滅を始めた時の光景と酷似していて―――。

「……ッ、そのアラームは!!」
「ビッグファイアだあ!?」
 鋭い声に重なるようにして、素っ頓狂な声があがる。


 寝台の上で両者互いに振り返り、相手の顔を凝視した。


「ということは貴様」
「まさかお前さん―――」


 愕然としつつも互いに探るような視線を向け合う。


「国際警察機構か!?」
「BF団か!?」


 またもや二人の声が重なった。


「あんた名前はッ?確かアル…バ、違う、アルビ……」
 縺れ気味の記憶を探りつつ男が声を慌ただしくする。

「アルベルトだッ!お前は――タイソウと言ったな?」
 その独特な音の名には、そう言えば聞き覚えがあった。


 そして一瞬の静寂ののち。


「九大天王が一、神行太保の戴宗か!!」
「十傑集、衝撃のアルベルトかよおッ!?」


 口々に驚愕の叫びをもらしていた。


 相手の大物ぶりに愕然としたのもつかの間、 己の迂闊さを罵りながらバッと身を離し、勢いそのままに宙を飛び交い、部屋の中で寝台を挟んで対峙する。
 知らずに同衾していたとは何とも間抜けな話だが、アルベルトにしてみれば、あれ程までに泥酔していた男がよもや九大天王であるなどとは思わなかったし、戴宗にしてみても、こんな上流階級の看板をぶら下げて歩いているような男がまさか十傑集だとは思わなかったのだ。

 すわそのまま死闘に突入かと思われたが、しかし。
 そこでぴたりと場の動きは止まったのだった。
「おい、どうしたよ?」
 自分の胸元で何やら苛立たしげに手を動かしているアルベルトの姿を目にして戴宗が訝しむ。
 成り行きを考えれば一気に戦闘へとなだれこむのが定石であろうに、事もあろうか肝心のその相手がこちらを無視して何やらしているのだ。と、戴宗の耳に。
「……シャツのボタンが」
 非常に不機嫌そうなアルベルトの声が聞こえた。
「ボタンだあ―――」
 呆気にとられつつ、それがどうしたと戴宗が問う前に。
「掛からんのだ」
 内容に反してたいへん尊大な口調の主が言った。
 この状況下にありながら、起床したからにはまず身だしなみを整えることを最優先させたらしい、どこまでもお貴族様な男であった。
「いつもはどうしてんだよ?」
 呆れる前にいささか唖然とした呈の戴宗が、思わず構えを解いて胸の前で腕を組む。
「フン、自分でなどするものか」
 アルベルトが侮蔑の視線を相手へと差し向けた。
 その様子から察するに、どうやら普段はお抱えの召使いが御主人様の身なりを整えているものらしい。
「ったくお貴族様って奴ぁ」
 がしがしと頭を掻いた戴宗は一つ大きなため息をつくと、大股でアルベルトの所までやってきた。
「貸しな」
 言いながら顎をしゃくり、人差し指をくいと曲げる。
「何だ」
 眉間を寄せたアルベルトがチラとだけ視線を向けた。
「貸せっつってんだよ」
「む」
 胸元をぐいと引かれて顔をしかめたアルベルトの眼前で、思いがけず器用な男の指がボタンを留めていく。
「上まで全部留めちまっていいのかよ?」
「当たり前だろうが」
「ちょいとばかりもったいねえ気もするんだがな」
 本気とも冗談ともつかぬ口ぶりで言った男の指の間からは、なめらかな肌と形の良い鎖骨がのぞいている。
 真っ白なシャツの合間から見えているそれに、昨夜の手触りを思い出したのか戴宗がニヤニヤと笑った。
「貴様、今何か言ったか」
「いいやぁ何にも」
 冷たく光る眼にぎろりと睨まれ、肩をすくめて神妙な顔を見せた男が最後までボタンを留め終える。
「これでいいのかよ」
「うむ」
 大儀。顔にそう書いたアルベルトは満足そうに頷くと、その眼がふたたびギラリと殺意を帯びた。
「―――だぁな」
 それまでの呑気さもどこへやら、戴宗もまた一瞬にして物騒な気を身から放つ。
「貴様の首を叩き落としてくれるッ」
「生憎この首にゃあまだ用があるんでな!」
 アルベルトが両腕の周囲に巨大な渦を巻き起こせば、戴宗の鍛え上げられた躰が気を孕んでぐうっとたわむ。
 そして二人の放つ殺気が臨界点にまでふくれあがり。


 ドォオオオオオオオオオオオンン――――――!!


 瞬時のスピードで飛び交った彼らの周りで大爆発が起きた。
 部屋の内外で瓦礫が飛び散り粉塵が舞い上がる。
 頭上から射しこむ光にふと顔をあげれば、天井の向こうには青空が見えていた。
「…………」
 両者互いに無言で顔を見合わせると。

 タ―――――ン。

 床を蹴って屋根に開いた大穴から上空へと舞い上がる。足がかりを求めて宙を駆けながら、屋敷の外へと闘いの場を移していった。



 戴宗の掌から噴き出す気流が轟々と唸りをあげ、アルベルトの衝撃波が風を伴い腕の周囲で渦を巻く。
 乱気流の塊が怒涛のごとく襲いかかり、白熱の輝きを帯びたソニックウェーブが標的めがけて放たれる。
 互いの身に、音よりも衝撃の方が先に届いた。
 アルベルトが波動を繰り出して気流を断ち切り、戴宗が二転三転と、とんぼを切って宙に身を踊らせる。

「なるほど。九大天王の名に恥じぬ遣い手と見える」
 アルベルトが頬に一筋流れた朱を手の甲で拭い取る。

「お前さんもな。なかなか大したもんだぜ、衝撃の!」
 戴宗がぐいと肩を回し、外れかけた骨を元に戻した。

 大気中の酸素が薄い。

 真の強者はまた、真に強い者を見抜く眼力を備え持つ。
―――相手にとって不足なし。
 次なる攻撃に向けてブゥウウンと腕に低い振動を発生させつつ、アルベルトが口元にうすい笑みを刷く。
 応じるように戴宗が大きく身を開き、両の拳に噴射気流を集めながら相手を見据えてニタリと笑った。