延彦の頭の中で、光景がゆっくりと再構築されていく。

 強い力でぐい、と頭を押し下げられ地面に膝をついた延彦は、男の前にかがみ込んでいた。
 荒々しく髪をつかまれて腰の前へと引き寄せられる。
 促されるままに延彦は静まりかえっていたあの男のあそこへ手を伸ばし、両手を使って前をくつろげ。
 中から引きずり出したものに指を添え―――。
 延彦の髪をつかみ寄せる男の手に力がこもる。舐めろというように、延彦の唇に自分のものを押しつけた。
「…………あ」
 延彦の唇が震えながらひくりと開く。
 大きく唇を開け、赤い舌を蠢めかしながらうっとりと目をつぶった。
 宙に思い描く男のものを舐め上げながら、自分の指をペニスに絡ませてしごきたてる。
 延彦の唾液にまみれた男のものが、口の中で逞しく育っていく。
 やがてそれは唇からあふれるほどに大きくなり硬くそそり立ち―――。
「んっ………」
 内なる視線でその充実を目にした延彦が、耐え切れぬようなあえぎをもらす。
 首に絡みつく冷たい鎖がもたらしていたあの時の、頭が爆発するような息苦しさと鋭い快感を得られないことにもどかしさを覚えながら、口腔にたまっていた唾液をごくりと飲み下した。
 宙に舌を伸ばし、男の幹に絡みついている唾液までもを舐め取っていく。
 自分が何を期待しているのかも分からぬままで、延彦の唇は浅い息を吐き、焦れたように腰が揺れる。
 あともう少し―――。
 もう少しでどうなるというのか。

『犯られたことねえんなら……』
 含み笑うような男の言葉が聞こえた。

「そんなの、あるわけ……ないだろ。……馬鹿じゃないのか」
 男を嘲るように言いながらも、踏み込んではいけない領域に自分が足を踏み入れそうになっていることはおぼろげながら感じていて、どうしようもなく声が震える。

『……裂けちまわないように気をつけな』

 裂け……る?
 まさか。

『ちゃんと慣らすんだぜ?』

「そんな事言うんなら……お前が、やれ……よ」
 何をどうすればいいのかも分からず、延彦が惑い震えた声をもらす。

 それをしなければ。
 どうなるというのだろうか。

『………挿れてやるからケツ出せよ』

 嘲笑うような男の声が響いた。
 聞かなかったはずのセリフが、耳の中に忍び込んでいた。
 だが延彦は自分自身でそれに気づいていない。
「そんなの……」
 内なる視線を向けて、男の股間でそそり立っている漲りを見つめた。
「そんなの……入らない…よ…」
 延彦の声があえぐような響きを帯びる。

―――――シャリィィイイイイ…………ンンン。

 冷たい音が鳴った。

『これがあるのを忘れたのか?』
 男の声が聴こえる。

 冷ややかな光を放つ銀の鎖。
 男の手にあるそれは、延彦の喉首へと繋がっていた。
「あ……」
 延彦が大きく目を見開く。
「でも……そんな、大き……の……ム、リ……」
 哀れっぽい口調でいいながら、その目に濡れた光がじわりと浮かぶ。何かを期待するような色。
「……こんなとこに……入らない…よ……」
 だがどんなに自分が嫌がろうとも、この男には逆らうことはできないのだ。
 尻を押し開かれ抜き身のそれを突きつけられ―――。
 抗うこともできぬまま無理矢理に犯されてしまう。

 なぜなら鎖が。
 男の手にある鎖が。
 自分を縛っているのだから。喉にきつく巻きついているのだから。
 逆らったら首を絞められてしまう。だから―――。
 男に何をされても自分は抗うことができないのだ。
 言われるままに。奴隷のように。
 従うことしか許されていないのだ。自分の意志とは関係なく。

『暴れると裂けるぜ』

「そんな……っ」
 怯えを浮かべた延彦の目に、もう一つの色がのぞく。
 本当に裂けるのだろうか。
 …………どうやって?

『こうだよ』
 熱くて硬いものが延彦の入口に押し当てられていた。
「……っふ、あ」
 ぐり、と先端でこじ開けられる感触を思い浮かべて延彦が息をあえがせる。
「裂け……」
 本能的な恐怖にぎゅ、と身がすくむ。

 でも…………。

 もっと鋭い快感を得られるのなら。
 もっと強い快楽を得られるのなら。

―――あの男のアレが……。

 オレを裂いて。
 あそこを……あんな場所を。
 引き裂きながら、オレの中に…………。

『して欲しいのか?』

 嘲るような声が聞こえ、押し当てられていた男の怒張が延彦の中にずぶ、とめり込んだ。
「…………ひ、ぅッ」
 現実には何の快感も痛みも与えられず、その快楽も知り得ぬことにもどかしさを覚えながら、延彦の内壁が男のもの締めつける。
「んっ……」
 ひくん、と脈打った延彦のペニスが反り返った。
 先端に盛り上がっていた露が溢れ、ツゥと茎を伝いながら流れて落ちる。
「あっ、あっ……」
 思考能力を失っている今の延彦には何も考えられず、漲ったペニスを添えた指でこすり立てながら欲望のままに自分を追い上げていく。
 意識が白くなり腰の前がじんじんと痺れた。
「あ……イ、くッ」
 覚えのある快感が腰に突き上がるのを感じて声を放った時。
 遠くから聞こえる音があった。


 ブロォオオオオオオ―――――。


 耳に聞こえた音へとっさには反応できず、ぎごちない動きでのろのろと延彦が視線を上げる。
 バックミラーに遠い光がふたつ。
 こんな深夜だとてここは生活道路である。付近の住人の誰が通ったとしてもおかしくはなかった。
 エンジン音が次第に近くなってくる。
「………………」
 そのまま通り過ぎてしまえと願いながら、延彦は絡めた指を上下に動かし続けていた。別のものに気を取られてしまったせいで、それはほんの少しだけ勢いを失ってしまっている。
―――あともう少しで……。
 イけたのに。
「くそっ」
 水を差された形の延彦が、悔しげに顔をゆがめながら手の中のものに指を這わせる。今この指を離すのは死んでも嫌だった。
 だが、瞬く間に背後へと迫ってきたエンジン音は延彦のアルテッツァの背後でピタリと止まったのである。
「―――!?」
 ハッとしてバックミラーを見上げると、見慣れた配色の車が映っていた。
 普段なら聞き逃すはずのないそのエンジン音を、最前の延彦はただの騒音としか捕らえることができなかったのだ。
 バタンとドアの開いてドライバーが降りてくる気配を感じて恐怖する。
 逃げ場を求めるようにせわしなく視線を動かし、ナビシートに脱ぎ捨ててあった上着を引き寄せて腰の上にバサリとかけた。
「延彦?こんなところにいたのかよ、どうした」
 何かあったのか?
 暗がりの中でアルテッツァの脇に立った青年が、気がかりそうな声を投げて寄越した。
「あ、や、何でも……ない」
 延彦は動揺を押し隠して何気ない顔をつくろい、ようやくのことで言葉を返す。服の下では、硬く勃ちあがっているペニスを手の中に握りしめたままなのである。
 その手が小刻みに細かく震えている。
 自分がしていたことに対して今更のように湧き上がってくる罪悪感と、こんな状態にある自分を他人に知られるのではないかという恐怖感に、延彦の胸の中では心臓が早鐘のような動悸を打っていた。
「降りて行ったっきり戻ってこねえから、心配するだろ」
 要領を得ない延彦の返事を聞いて、大丈夫かよ、と相手が整った形の眉をひそめる。
「あれ、なんかお前カオ赤くねえか。熱でもあるのか?」
 わずかに届く自販機からの明かりを頼りに、延彦の顔をのぞき込んだ。
 赤く染まって上気した頬。
 浅い息を吐く渇いた唇。
「平気……だって」
 早く行っちまえ、と胸の中で焦れる思いをこらえながら延彦が首を振る。
 何気ない会話を交わしながらも、薄い布一枚の下には勃起したままのペニスがあるのだ。
 異常な事態が続いていることに感覚が麻痺している延彦には、相手に気づかれるのではないかというスリルすらも快感となって背筋を這い上がり始めていた。
 相手の目がそこへたどりつくことすらを願ってしまいそうになる。
 暗がりの中に停めた車内で、ひとり息を荒くしながら自慰行為をしていたことを知られ―――近しい青年の軽蔑に満ちた視線にさらされることを想像して手の中のものが硬さを増す。
 更には―――自分の唇を蹂躙していった男のものを口にくわえさせられる妄想にふけり。自らの舌と唇で育て上げたそれに貫かれて尻を犯され、男に強姦されている自分を思い浮かべながら欲情していたことまでを知られたら―――。
 どくん、と延彦の手の中のものが脈を打ち、腹につくほど硬く反り返った。
「平気ってカオかよ」
 案じるような声で言った青年が、何の気なしに伸ばした親指で延彦の唇にス―――と触れる。
「……あっ……」
 唐突に与えられた刺激に、延彦が小さくあえいで唇を開いた。
 触れてきた人肌のあたたかさに。
 伝わる熱に、すぅと意識が引き込まれていく。
ゆっくりと目を閉じた。
 感じるのは、解放を訴える腰のもどかしい快感と。
 唇に触れている男の指。
 腰の前がふたたびどくどくと熱を帯びていく。

 誰かに、何かを、して欲しい。
 誰か―――に。

 誰でも……いい、から―――。

 延彦の唇の割れ目から赤い舌先がちろりと伸びる。
「…………な…ん……」
 愕然としたような声がどこか遠くの方で耳に聞こえた。
 自分の唇に触れている男の指を舐めた延彦は、その第一関節までを唇に含んで歯でくわえ、舌を絡めていた。
「……ふ……」
 唇の中で舌がうごめき、しゃぶる親指の腹をゆっくりと行き来する。
 腰にかぶせてある上着の下では、ふたたび延彦の手が動き始めていた。
 相手に知れぬよう、腕を動かさずに指先だけで先端の括れをこすり立てる。
 じんとした痺れが心地よく腰に広がっていく。

 カリッ―――。

 気づくと延彦は、唇の中に含む指を噛んでいた。
「……お……い……?」
 今この場で起こっていることがよく分かっていないのだろう、相手の青年は動揺した声を聞かせながらも、延彦の具合がどこか悪いのかと振り払えないでいる。
「ん……」
 唇の中へ指をくわえこんだ延彦は、舌に絡めたそれを無心に舐めながら音をたててしゃぶっていた。
 どくん、と腰に鋭い快感が突き上がってくる。
 充血しているペニスが手の中で硬く反り返った。
「んッ」
 思わず声をあげそうになって、必死の眼差しをしながら延彦が歯をかみ締める。
「てえッ」
 強く噛まれ、反射的に青年が手を引っ込めた。
 その指先と延彦の唇の間で唾液が糸を引く。
「…………くッ」
―――ん、ん……ッ。
 もれそうになる声を必死になってこらえた分、快感が加速度的に膨れあがっていった。
「……ッは、ァ」

 イ……ク……ッ!!

「う、ふぅッ」
―――あっ……あッ。

 手の中にあるものが、びくびくと脈打った。
 熱く弾けてとめどなく溢れ出したものに指が濡れる。
「…………あ……ふ」
 浅く息を弾ませ、ゆるんだ表情を浮かべた延彦の躰から力が脱けていく。躰中をおおう気怠さを感じながら、快感の余韻に浸っていた。
「お…まえ………?」
 外からかけられた声にゆるりと視線を向ける。
 畏れを含みながら延彦を見つめる黒い双眸に出会った。
「…………」
 上目遣いに青年を見上げる延彦の目は快楽の残滓をたたえ、濡れ濡れと潤んでいた。
 唇から、はぁ、と満ち足りたような深い息をもらす。
「だ、いじょうぶかよ、お前」
 宙に浮かせたまま固まっていた手を慌てて降ろしながら、動揺を消せぬままの口調で青年が尋ねた。
「……やっぱりちょっと体調悪いみたいだな。……少しフラつく」
ごめん。
 と延彦が気弱な笑みを浮かべて見せた。
「…………おいおい、しっかりしろよ」
 いささか顔を引き攣らせながらも青年が明るい声を張り上げようとする。異様に見えた延彦の行為はきっとそのせいなのだろうと、思いこみたがっているようだった。
「今日はもうあがるか?」
 この状態ではもう帰った方がよかろうとそう判断して、青年が延彦に尋ねる。
「……そうした方がよさそうだな」
「具合が悪いんならお前の車ここに置いて、オレの車に乗って帰るか?」
 お前のは明日取りにくればいいだろ。
 気軽い声で青年が言った。
「いや、そこまでは―――」
 しなくても、と言いかけて延彦が止まった。

 誰かに、何かを。
 誰でも……いい、から―――。

 木霊するリフレイン。

 延彦の顔から少しずつ表情が抜け落ちていく。
 その首には鎖で絞められた痕が数条、くっきりと赤く浮かび上がっている。
「それなら……悪いけど一緒に来て、様子見ながら……家まで送ってくれないか?」
 青年に視線を向けた延彦が、弱々しい声で言った。
「何だよ、ったく…………しょうがねえな。いいぜ」
 乱暴な口調で言いながらも相手が頷く。
「すまない」
「おい、ホントに運転できるんだろうな」
 端正な面立ちの青年が、危ぶむような顔つきを見せなら延彦へとそう尋ねる。
「ああ、大丈夫だよ。……少し楽になったから」
 嘘ではない。
 まだ足りないにしても、少しの熱を吐き出して躰は楽になっていた。
 まだ―――足りないけれど。
「ホントだろうな?なら、先に出るからちゃんとついて来いよ?」
 くいと肩を揺すった青年が背を向けながら声を放る。
「うん、分かった」
 延彦はそう答えると、広げた指で喉を撫でながら、上着の下から音もなく手を抜き出した。
「本当さ……」
 持ち上げた指を口元へと運び、とろりとした白濁に舌を這わせる。
ゆっくり舐め取った。
 こくん、と動いた喉元で―――。


 …………ィィイイイイ…………ンンン。


 赤の鎖が無音を鳴らす。





「ありがとう―――渉」
 強く光る視線で青年の背を見つめながら、延彦がうっすらと笑った。






                                              ― 了 ―